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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)1138号 判決 1976年8月23日

原告 桑原辰之助

原告 小林義男

右原告ら訴訟代理人弁護士 野島豊志

同 新寿夫

被告 徳間直三郎

被告 稲本信正

右被告ら訴訟代理人弁護士 渡辺文雄

主文

被告稲本は、原告桑原辰之助に対し、金二二八万五八五〇円およびこれに対する昭和四九年三月一四日から支払ずみまで年六分の割合による金員の支払を、原告小林義男に対し、金二六七万二〇〇〇円およびこれに対する昭和四九年三月一四日から支払ずみまで年六分の割合による金員の支払をせよ。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告らと被告徳間との間に生じた分は原告らの連帯負担とし、原告らと被告稲本との間に生じた分は同被告の負担とする。

本判決第一項は、確定前に執行できる。

事実

第一請求の趣旨

「被告らは、連帯して、原告桑原辰之助に対し、金二二八万五八五〇円およびこれに対する昭和四九年三月一四日から支払ずみまで年六分の割合による金員の支払を、原告小林義男に対し、金二六七万二〇〇〇円およびこれに対する昭和四九年三月一四日から支払ずみまで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。」との判決および仮執行宣言を求める。

第二請求の趣旨に対する答弁

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求める。

第三請求の原因

一  原告らは製靴業者であり、被告ら両名が取締役をしていた訴外株式会社靴進商事(以下訴外会社という。)は靴の販売業者であるが、原告らは、その製造にかかる婦人靴を訴外会社に納入していた。そして、被告徳間直三郎(以下被告徳間という。)は訴外会社の代表取締役であり、同稲本信正(以下被告稲本という。)は専務取締役であった。

二  原告桑原辰之助(以下原告桑原という。)は、訴外会社に対して、昭和四八年三月一七日から同年八月一八日までの間に、婦人靴を売却納入し、その売掛代金は計金二三六万一八五〇円になる。その内昭和四八年度における取引明細は別紙一覧表のとおりである。

三(1)  原告小林義男(以下原告小林という。)は、訴外会社に対して、昭和四七年四月から同四八年八月までの間に、金九〇万円相当の婦人靴を売却納入し、これに対し、被告稲本は、原告小林に対し、支払のために、いずれも訴外会社を引受人とする手形金額計九〇万円になる為替手形四通を交付した。

(2)  原告小林は、訴外会社に対し、昭和四八年五月一八日、手形割引の形式で、金一八五万円を貸付けた。その弁済期は、最も遅いものでも昭和四八年一一月一六日に到来している。

(3)  原告小林の債権は右合計二七五万円である。

四  訴外会社は、昭和四八年八月一五日倒産したが、その後、訴外会社は、債権者全員に対して、未回収売掛債権(名目約金四〇〇万円)および在庫商品(婦人靴二一三〇足)を譲渡し、右未回収売掛債権は金一三四万三九七〇円回収され、右在庫商品は金五四万三二〇〇円で売却されたので、両者の合計金一八八万七一七〇円から、集金費用、従業員給与等の支出金八三万九一七〇円を差し引いた金一〇四万八〇〇〇円が各債権者に配分され、原告桑原は金七万六〇〇〇円、原告小林は金七万八〇〇〇円を受け取った。しかし、右のほかは原告らの第二項、第三項の各債権は取立不能となった。したがって、原告桑原は金二二八万五八五〇円、原告小林は、右受領分を売掛金債務の弁済に充当して、結局金二六七万二〇〇〇円の損害を被った。

五  そして、原告らが右損害を被ったのは、被告らが、その職務につき、次のとおり、故意または重大な過失により、行為を懈怠したためであるから、商法第二六六条ノ三により、損害賠償の責任がある。

(1)  被告稲本の故意または重過失

被告稲本は訴外会社の専務取締役をしており、事実上右会社の経営一切を行っていた者である。被告稲本は、原告らと取引を開始した昭和四七年暮当時から経営が極度に悪化していたにもかかわらず、それを原告らに秘し、原告らに対し、右訴外会社の代表取締役である被告徳間は資産家であるから絶対大丈夫であると申し向けて信用させたうえ、取引を開始した。被告稲本は原告桑原に対し、同人が納入して婦人靴の売掛代金の支払のために、商取引上の受取手形であると称して「マルサンシューズ代表竹内稔」を振出人とする約束手形六通(手形金額計金一八四万七二六〇円)を原告桑原に裏書譲渡したが、竹内稔は被告稲本の友人の息子であって、何ら支払能力のない青年である。被告稲本は、自社振出の手形では信用がなく受取ってもらえないので、右竹内の名義を勝手に使用して回し手形を仮装し、支払見込のない手形をあるように見せかけていたものである。また、訴外会社は四五年八月設立以来、毎年大幅な赤字であり、昭和四七年前半若干黒字となったが、この年も年間を通ずるとやはり赤字だったのである。このような状況のもとで、被告稲本は、経営危機打開の具体策を何ら講ずることもなく、単に被告徳間および被告稲本の実母からの借入金をあてにするだけで無責任な経営を続け、支払見込のない手形を振出したり、引受けたりしたものである。

(2)  被告徳間の故意または重過失

被告徳間は、訴外会社の代表取締役であり、被告稲本から再三融資を頼まれたことから訴外会社が危機に面していることを知っているのに、業務に一切関与せず、被告稲本の業務執行に対する監視監督業務を怠ったばかりでなく、被告稲本が取引先に対して被告徳間の信用力あることを強調利用することを許したものである。

第四請求の原因に対する認否

一  請求の原因第一項は認める。

二  請求の原因第二項は三三万円の限度で認め、その余は否認する。はじめ原告の主張事実を認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基づいてしたものであるから、自白を撤回し、昭和四八年八月分の取引三口各一一万円合計三三万円の限度で認めると訂正するものである。同年七月分以前は約束手形で支払済みである。なお、甲第一〇号各証の手形金額の合計額である一八四万七二六〇円相当の代金債務は後記のとおり手形債権を譲渡し対価が給付されたことによって消滅している。

三  請求の原因第三項(1)は否認する。同(2)は一二五万円の限度で認め、その余は否認する。はじめ金一五五万円の限度で原告の主張事実を認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基づいてしたものであるから、自白を撤回し、額面五〇万円と額面七五万円との両約束手形分一二五万円の限度で認めると訂正するものである。

四  請求の原因第四項、第五項は否認する。ただし、被告徳間が訴外会社の業務に関与していなかったことは認める。

第五被告らの主張および抗弁

一  訴外会社の原告桑原に対する債務のうち金一八四万七二六〇円については、既存債権と手形債権が併存するが、原告はこれを全て他人に譲渡して対価を得ているので、同原告が償還義務(あるいは買戻義務)を履行して手形を所持している場合は別として、既存債権は消滅しており、その部分についての原告桑原の損害はない。また、訴外会社の原告小林に対する債務すべてについても同様である。

二  訴外会社倒産後の昭和四八年八月二五日、原告らを含む一〇名余の債権者が被告徳間方に参集した際、訴外会社は、会社現有資産の全部を債権者側に譲渡し、債権者である原告らにおいて回収した債権は同原告らで配分し不足分は免除する旨の和解契約が少なくとも黙示的には成立した。そこで被告らは、会社帳票(仕入帳、売掛帳、伝票類)や手形受払帳、各取引銀行の手形帳(控だけのものを含む)、小切手、会社実印、ゴム印その他一切の書類を、その場で互選された債権者会委員長である原告桑原に交付し、あわせて右同日付で、訴外会社の売掛金約四七〇万円および在庫商品婦人靴三五〇〇足を譲渡する旨の債権譲渡書と題する書面を原告桑原に交付した。これにより原告らと訴外会社との債権債務関係は精算されたのであり、原告らには損害がない。

三  仮りに前項の和解契約の成立の主張が理由がないとしても、

1  原告らは前項記載の売掛金債権約四七〇万円を、みずからあるいは被告稲本らを使用して回収し、訴外会社の原告らに対する債務の弁済に充当したほか、昭和四八年九月上旬ころ、在庫商品婦人靴三五〇〇足(これは、小売値が一足あたり平均四〇〇〇円くらいであり、卸値が同じく二六〇〇円くらいであるから、合計は小売値で金一四〇〇万円くらい、卸値で金九一〇万円くらいである)全部を処分し、右同様、弁済に充当している。

2  原告桑原はさらに、訴外会社が店舗の賃貸借契約を締結する際敷金として貸主に入れておいた金二九万円を取り立てみずから収受している。

3  原告桑原は、訴外会社が同原告に対し支払のため交付した清水覚雄振出にかかる額面一〇万円、満期昭和四八年八月三一日の約束手形の決済を受けて入金している。

以上によれば、原告らが右のようにして受領した金額は、原告らの債権金額を上回るものであって、原告らには損害がない。

四  訴外会社が倒産したのは、訴外会社の得意先である小売店が倒産したり、訴外会社に納品していた婦人靴メーカーの納品が著しく遅れたりしたためであって、被告稲本の責任ではない。また、原告らは、被告徳間が代表取締役とは名ばかりで、訴外会社創業当初すでに七五才くらいの高令で会社経営に全く関与していないことを承知していたのであり、会社内部で被告徳間が被告稲本を監視すべき義務を全く持たなかったことも承知していたから、被告徳間の責任追求はできない。

五  被告らの行為と本件損害との間には相当因果関係はない。

六  原告らは訴外会社の売掛代金の取立、商品の処分については善管義務を尽すべきであるのに、恣意的に処分した上、被告らの個人責任を追求しているのであって、これは権利の乱用である。

七  原告らは、訴外会社の経営状態、資産状態等を調査せずに取引に入ったもので、この過失は損害算定上五割として斟酌されるべきである。

八  原告らは、被告稲本から偽計を用いて個人保証書をとり、これによって同被告に対する不動産仮差押を申請し、執行したが、それが無効の保証書である故に本訴では商法第二六六条―三の請求をしているのであって、これは訴権の乱用である。

第六被告らの主張および抗弁に対する認否ならびに反論

一  被告らの主張および抗弁の第一項から第五項までの主張はいずれも否認する。

二  同第六項の権利濫用の抗弁は時期に遅れた攻撃防禦の方法である。

第七証拠≪省略≫

理由

一  原告桑原の債権について考えるに、原告主張の二三六万一八五〇円という売掛代金債権の存在は、被告が一旦これを自白した後、撤回するに至ったのであるから、右自白撤回についての要件が存するかどうかが問題である。被告は初めの自白が真実に反するものであったと主張するが、昭和四八年八月分の三口合計三三万円だけを認めると言っても、その三口の取引は原告主張の別紙一覧表を利用し、その末尾の三口の取引を認めているのであって、原告とは別箇に証拠を提出しているわけではないから、被告の主張は、買掛金債務については約束手形が振出交付してあり、原告が手形を譲渡して対価を得た以上買掛金債務は消滅しているとの言分につきるとせねばならない。この点に関する被告主張に理由のないことは後に判示するとおりであって、結局、被告の先の自白が真実に反したことの証明なきに帰するから、他の要件を判断するまでもなく、この自白撤回は許すべきでない。

二  次に原告小林の債権について考えるに、≪証拠省略≫を総合し、請求原因第三項(1)の売掛代金支払のための為替手形債権九〇万円を認めることができる。

三  進んで、請求原因(2)の一八五万円については、一五五万円の限度でなされた自白撤回の問題が存するが、撤回後の被告主張は、要するに、甲第五、第六号証の両約束手形の額面合計一二五万円は認めるが、甲第七、第八号証の額面各三〇万円の両為替手形については認めない、というにある。ところで、この甲第七、第八号証の両約束手形はいずれも原告小林の自己宛で振り出され、訴外会社の引受を得て後、甲第五、第六号証の割引先であった訴外斉藤譲一あるいは訴外海老原男あてに裏書されたことが認められるのであって、甲第七、第八号証の両為替手形が、原被告間で甲第五、第六号証の約束手形同様の経済的役割を果したとみる余地は十分にある。なるほど、他方、被告稲本本人が第二回尋問で供述しているように、この二通の為替手形を訴外会社から原告小林への手形貸付であったと解する余地もあるが、十分な心証に導くものではなく、この場合、自白取消の要件としての真実の証明責任は被告らが負担するものである以上、右の心証不明は被告らの不利に解せざるを得ないから、先の自白の撤回は許すことができない。そして、こうして一五五万円の自白が有効に成立する場合、それは、被告らが現に認めている一二五万円すなわち甲第五、第六号証の両約束手形による債権のほか、甲第七、第八号証の各三〇万円の為替手形による債権のうち、いずれか一方の三〇万円を加えたものと考えられるので、残る一つに対しても、右の事情は弁論の全趣旨として心証上影響しないわけにゆかない。従って、残る一つも原告小林の被告に対する債権として認められることになり、結局、自白分を合せ、原告小林主張どおり、一八五万円の手形割引による貸付債権が存在することになる。

四  被告らは、原告らが手形を他に譲渡して対価を得た以上既存の原因債権は消滅したと主張するのであるが、およそ手形債権と原因債権が併存する場合、所持人が手形を第三者に譲渡して対価を得たからといって当然に原因債権が消滅するものではなく、手形金が支払われるか遡求権保全手続の懈怠により遡求権を行使されるおそれがなくなったときに初めて消滅すると解すべきものであるところ、被告らは右の要件の主張立証をしないから、被告主張はその点で既に失当であるばかりでなく、原告小林の請求原因第三項(2)の債権について言えば、同原告が現に各手形を受け戻して現に所持していることは甲第五号証ないし第八号証の提出からも明らかであって、被告らの主張はこの点からも失当である。また、≪証拠省略≫によれば、原告らは被告稲本を相手取って不動産仮差押を申請するに当り、原告桑原は二二五万円、同小林は二四五万円、訴外会社に対する各売掛代金債権を有する旨主張し疏明したことが認められるが、緊急の疏明を必要とされる場合のものであること、本件での先の判断はむしろ自白の成立に拘束されるものであることを考えると、以上の結論を左右するような事情とは言えない。

五  ≪証拠省略≫を総合すると、次のような事実関係が認められる。

被告稲本はもと父の経営するマルヤスという靴卸商に勤めていたが、昭和四四年末同社倒産後、昭和四五年八月訴外株式会社靴進商事を設立し、妻の父で鉄工場を息子と共に経営している被告徳間を代表取締役に迎え、自ら取締役として実際には同被告が訴外会社の事業を取りしきった。その事業は婦人靴を主とする靴卸商であって、原告らメーカーから仕入れた完製品、あるいは半製品を石原のような職人によって仕上げさせた商品を、中部・中国・四国方面の小売店に卸すのであるが、売捌きの方法としては、見本を仕入れて年二回熱海のホテルで接待を兼ねた展示会を開き、その受注数によって仕入数を決定しメーカーに発注するほか、三、四人のセールスマンが注文を取って廻るという経営方式を取っていた。

経営は、昭和四五年八月の会社設立から同四八年八月の倒産に至るまで終始苦しかった。すなわち、開業後一年は七〇〇万円位の赤字で、被告徳間や被告稲本の母などから金を借りて欠損を補わねばならなかったし、昭和四七年に入ると前半はよかったが後半は赤字で年間を通じては五〇〇万円位の欠損であったし、昭和四八年前半も五~六〇〇万円の赤字であった。このように欠損続きであったのは、当初の一年間はまだ信用がなく経費に見合うだけの取引額がなかったためであるが、それ以後は需給のアンバランスによる。すなわち、折角展示会で注文を受けた取引もメーカーの納品が遅延したため、当初の値では売れなくなり、しかも訴外会社自体はまだ弱体でメーカーを選択するだけの地位にないため、このように遅延した納品を拒絶したり値切ったりすることができなかった(≪証拠判断省略≫)。また、東和製靴、日進製靴等仕入先が倒産すること数社に及び、そのメーカーの商標ある商品は以後は小売店が買付けないため、折角仕入れながら投げ売りするほかなくなって欠損を生じた。また、セールスマンの売上実績も他店に比して少なかった。昭和四八年初頭には月々の売上額が四〇〇万円から四五〇万円に過ぎないのに仕入れ商品代金の支払額は三五〇万円から四〇〇万円に達し、既に人件費の支払にも窮するようになっていた。かてて加えて同年三月には交通事故で入院したこともあり、結局同年八月の倒産当時には未払債務額は一二社に対して二〇〇〇万円から二四〇〇万円位の額に達していた。

倒産は八月二一日満期の手形が不渡だったためであるが、同月二五日には債権者集会が開かれ、被告稲本は、事実上の経営責任者として、名義上の代表者である被告徳間を代理して、訴外会社の売掛代金債権および在庫商品すべてを債権者に譲渡する旨の「譲渡書」二通を作成し、この私的整理によって各債権者に最終的に配当せられた額は、原告桑原につき七万六〇〇〇円、原告小林につき七万八〇〇〇円であった。

以上のような経過が認められる。

六  右の倒産によって原告らの訴外会社に対する債権が取立不能に陥ることによって生じた原告らの損害額は、前段までの判示を総合して、原告桑原につき二二八万五八五〇円、原告小林につき二六七万二〇〇〇円になることは算数上明らかであるが、原告らは、この損害は被告らの故意または重過失によって生じた旨主張するのである。

(1)  まず被告稲本について考えるに、原告らは、成立に争いない甲第一〇号各証の約束手形の振出について主張するところがあり、被告稲本本人の供述によれば、その振出人名義である「マルサンシューズ代表竹内稔」は、もと前記マルサンの番頭をしていた同被告の知人竹内義男の息子であって、後記銀行口座開設当時はまだ学生であってもとより取引には関与せず、この名義を借りたのは、ひとえに、訴外会社の信用がないため訴外会社振出の約束手形では取引先に渡しても割引が得られないため、取引先からは決済方法として商業手形(廻り手形)の裏書交付を求められたので、商業手形に偽装するため取引先としては架空の右名義で振り出したもので実は訴外会社振出の約束手形に過ぎなかったことが認められ、また原告桑原本人の供述によれば、同被告はこの竹内稔を業界知名の会社であるスタンダードの部長職にあった者である旨同原告に告げたことも認められる(≪証拠判断省略≫)。しかしながら、≪証拠省略≫によれば、東京相互銀行梅島支店に右竹内稔名義の当座預金口座が開設されたのは原告桑原と取引を始めるに至るより先立つ二年の昭和四五年九月であり、この口座では三年間に一億円以上の引落しがなされたことが認められるのであるから、このような架空名義の口座開設による商業手形の偽装が商業道徳上非難すべきものであるからといってその一事で原告の損害につき帰責させることはできないであろうが、先に認定したような開業以来の赤字経営、特に昭和四八年に入ってからの経営状況を考え合せると、その後における原告らに対する仕入代金支払のための約束手形振出(なお、原告桑原への約束手形振出が昭和四八年になってからもなされていることは、別紙一覧表の取引日時から優に推測されるところであるし、原告小林に対する関係でも、≪証拠省略≫で明らかである。)は、満期における支払の不能を予見しつつなされたか、あるいは、取締役としての注意義務を怠ったため予見せずなされたものがあったと考えざるを得ず、乙第八号証の六で倒産直前の八月一七日まで決済されていることは、右の判断を左右するに足りない。従って、被告稲本は商法第二六六条ノ三に基き、原告らに損害を賠償すべきである。

(2)  被告徳間について考えるに、≪証拠省略≫によれば、訴外会社設立当時既に七五歳の老人であって、訴外会社の事務所に来たことも、展示会に出たことも、三年間に一度あった位に過ぎなかったと認められるので、先に認定した身分関係や事実経過も考え合せると、同被告が訴外会社の代表取締役というのは全く名のみで、すべてを娘の夫である被告稲本に任せ、ただ会社経理上、資金面での面倒を見るにとどまったと見るのが相当である。およそ会社の代表取締役が他の取締役に会社業務の一切を任せきりにし、その業務執行になんら意を用いないで、ついにはその者の任務懈怠を看過するに至るような場合には、みずからもまた商法第二六六条ノ三の賠償責任を負うと解すべきことは最高裁判所大法廷判決の存するところであるけれども、本件における被告徳間は代表取締役とはいっても全く名目上の存在で、訴外会社の実際の経営者は被告稲本であると原告らにも認識されていたことは、原告桑原本人が倒産後初めて被告徳間に会ったと供述していることその他口頭弁論の全趣旨から推認せられるところであって、実質的に代表取締役と目すべき者の任務懈怠とは趣きを異にするものがあり、同被告が前示のように被告稲本に任せきりにしたことは原告らの損害発生と相当因果関係を有しないというべきである。従って、同被告のその余の主張について考えるまでもなく、同被告に対する原告らの請求は失当である。

七  そこで、被告稲本の和解の抗弁について考えるに、≪証拠省略≫中にはこれに副う部分があるけれども、≪証拠省略≫および前示認定の債権者集会の結果各債権者への配分がなされた事実等を考え合せると、同被告主張の和解契約の成立は認めることができない。

八  同被告は更に、弁済の抗弁を提出するが、これは、原告らが既に請求を限縮した七万六〇〇〇円、七万八〇〇〇円の限度を超えては認められないこと既に判示したところで明らかである。≪証拠省略≫は必ずしも心証を惹くものではない。

九  同被告は更に、原告桑原の敷金受領とか約束手形入金を言い立てているが、これを認定するに足りる証拠がなく、失当である。同被告はまた、原告らの権利乱用をいう。新規の証拠調を必要とするわけではないから時機に後れているとは考えないが、訴外会社の帳簿類の滅失が原告らの責任であるとの確証がない以上、この主張は採用できない。更に、過失相殺の主張も、訴外会社の取引先としての原告らに損害額算定上斟酌すべき過失があったとの心証は得られないから、この主張も認められない。

一〇  最後に同被告は、訴権乱用による不当訴訟を主張し、≪証拠省略≫を提出している。そして、≪証拠省略≫によれば、同被告が原告らに対する訴外会社の債務を個人保証するに至った経緯につき釈然としない気持を有するのも無理からぬと考えられぬではない。しかしながら、その故に個人保証の意思表示が詐欺とか強迫とかの取消原因に服するとは考えられないし、原告らの本件訴訟が前示のとおり被告稲本に対しては理由あるものである以上、仮差押の申請理由とは異なる請求原因の本訴訟を提起したことを以て訴権の乱用と評価しえないことは当然である。

一一  結局、被告稲本の抗弁はすべて理由がない。よって同被告に対し、原告らが前記各損害額およびこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四九年三月一四日以降商法(原告らが商人であることは当事者間に争いがない。)所定の年六分の損害金の支払を求めるのは理由がある。

以上を総合し、原告らの請求中、被告徳間に対するものを棄却し、被告稲本に対するものを認容し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条、第九三条、仮執行宣言については同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 倉田卓次)

<以下省略>

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